Sugar & Salt Corner
No. 40
2010年4月22日
佐藤 敏雄

依佐美送信所の歴史とマイルストーン

(電子情報通信学会誌 Vo. 92, No.12, 2009より)
依佐美送信所に関する記事をみつけました。この送信所のことは昔から先輩方に伺っていましたが、具体的には何も知ることはありませんでした。名古屋に行く途中、列車の窓から鉄塔を眺めたことは何回かあります。その鉄塔も最早ありません。
 
この送信所が、茨城衛星通信所より一足先にIEEEのマイルストーンに認定されていました。若い方々には無縁の事かも知れませんが、会社の原点を知るのもよいのではと、KDD社史の記述で補足・修正しながら記事を要約してみました。
 
原著者は、電子情報通信学会の東海支部に属する田中浩太郎、中部産業遺産研究会の石田正治、並びにIEEE日本カウンシル歴史委員会の松本栄寿の3氏です。
 
1.発足の背景
1920年代までの日本の海外への通信網は、長崎を経由した上海とウラジオストック間の海底電線があるのみで、その先の海底電線を含めてすべてを外国通信に依存していました。しかし第一次世界大戦後、外国貿易の激増と海外電報の急増が電報の停滞と遅延をもたらしました。1922年のワシントン軍縮会議に出席した全権大使ですら、政府訓令を得るのに48時間もかかったとの事です。
 
依佐美送信所旧本館
写真1 依佐美送信所旧本館
日本政府は改めて国際通信が通商や外交と国防上の重要問題であることを認識し、急成長を遂げ始めた無線通信に着目、海外通信専用の大電力無線電信局を建設することとしました。そのため1925年10月に日本無線電信鰍創立しました。いわばKDDの原点です。
 
課題は以下の3点で、対欧無線送信基地として建設されたのが 依佐美送信所です。
 
 @ 対米通信の増強 
 A 対欧無線局の建設 
 B 対南洋・極東無線局の設置

 
2.依佐美送信所の建設とアンテナ
対欧無線の送信所(写真1)は愛知県碧海郡依佐美村(現刈谷市)に、受信所は三重県三重郡海蔵村(現四日市市)に建設され、共に名古屋電信局との間に連絡線が設けられました。建設は1927年2月に始まり1929年(昭和4年)3月に完成しました。工事は大林組、送信設備はドイツのテレフンケン製で、同社日本代理店の日本無線電信鰍ェ請け負いました。
 
アンテナ
図1 アンテナ平面配置図                       図2 鉄塔
 
アンテナ・鉄塔は、日本無線電信の技師、楠仙之助の設計になり、製造は石川島造船所(現IHI)、組み立ては大倉土木(現大成建設)でした。アンテナは高さ250mの鉄塔8本により支持されていました(図1、図2)。
 
3.送信設備
送信機
写真2 依佐美送信所旧送信機室
送信機(写真2)はまるで発電所です。その構成は、
三相誘導電動機−直流発電機−直流電動機−高周波発電機
の4段構成が採用されています。周波数を安定化するため、発電機を三相電動機で直接運転せず、直流電動機を介して運転するワードレオナード制御方式を用い、回転変動率を1/5000以下に抑えていました。発電機の回転数が毎分1360回転になると周波数が5.8kHzとなり、これを3逓倍(周波数を3倍に上げること)して送信周波数17.4kHzを得ています。
 
4.運転状況
送信所は1929年3月に運用を開始しました。通信はモールス符号です。4月にはワルシャワ、ベルリン、パリ、ロンドンと順次広がり、1万kmの欧州と双方向通信が可能となりました。しかしこの頃から電離層を利用する短波通信が開発され、世界でも主流になってきたため、依佐美送信所でも1930年にTCA製の短波送信機を設置し、長波設備は補佐役となりました。
 
1932年12月、世界的な無線電話の発展に即応するため、国際電話鰍ェ創設されましたが、1937年(昭和12年)11月にはこれと日本無線電信鰍ェ合併し、国際電気通信鰍ェ発足したのです。その後、長波が水中に浸透する特性が発見され、潜水艦との通信に役立つことから、1941年(昭和16年)に、日本海軍が長波通信の使用を開始しました。
 
5.第二次大戦後の依佐美送信所
終戦と共に、1947年(昭和22年)、連合軍総司令部(GHQ)により、依佐美送信所の母体である国際電気通信鰍ェ解体され、依佐美送信所も閉鎖されました。しかしやがて駐日米国海軍が同施設の長波を利用することとなり、送信施設の運転のため、1950年(昭和25年)6月、電気興業鰍ェ設立され、保守運転を行いました。
 
1993年(平成5年)8月に至り米海軍も長波送信を停止して日本側に返還され、1995年にアンテナ線撤去、次いで1997年(平成9年)には鉄塔が撤去されました。
記念館
写真3 依佐美送信所記念館と鉄塔基部
 
6.送信所その後 とIEEEマイルストーンの認定
その後、地元で保存運動が起こり、1996年、産業考古学会から、「推薦産業遺産」として認定されました。2004年12月には、電気興業より電子情報通信学会東海支部宛に送信所の長波送信設備一式が刈谷市に寄贈されました。また2006年3月には高周波発電機の内部調査が行われ、詳細な報告書が発行されています。 2004年4月、刈谷市は隣接地に「フローラルガーデンよさみ」を設置し、公園内に「依佐美送信所記念館」を作り、送信機設備を展示しています。
 
2009年5月、依佐美送信所は、IEEEマイルストーンに認定され、現地で贈呈式が執り行われ、竹中刈谷市長にマイルストーン銘板が手渡されました。茨城衛星通信所の認定に先立つこと6ヶ月のことでした。依佐美は国産品ではありません。しかし、地元が長らくサポートし、地域や社会に貢献した技術成果としてマイルストーンに認定されました。  以上
 
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