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イングランド北西部、湖水地方 (Lake District) を旅する

鎌田 光恵
平成16年11月

ウインダミア湖、グラスミア湖、コニストン湖など大小さまざまな湖が点在し、高い山の少ないイングランドにおいて、1000m近い山々が連なる景勝地、湖水地方は英国最大の国立公園である。
夜明け
「谷をわたり、丘を越えて漂う雲のように、
一人歩く私の心は寂しかった。
その時、まるで軍団のように一面に咲いて
金色にひろがる水仙の群れにであった。
木々の根もとから水辺まで、風になびき、
舞い踊る黄水仙達の姿をみた。
アンブルサイドのフットパスで渡った石橋
I wander'd lonely as a cloud
That floats on high o'er vales and hills,
When all at once I saw a crowd,
A host of golden daffodils;
Besides the lake, beneath the trees,
Fluttering and dancing in the breeze,

William.Wordsworth 1804年発表の 「二つの詩篇」 より

ベアトリクス ポターの「ピーターラビット」で近年、若者層に人気浮上の湖水地方であるが、年配者にはロマン派詩人 ウイリアム ワーズワース William Wordsworth(1770〜1850)を想いうかべる人も多いだろう。私もその一人。大学一年生の英詩の時間に上述の詩を暗誦して以来いつか必ずやこの眼で Golden Daffodils の群舞を見たいと願ってきた。

ワーズワースは前半生の30年をケンブリッジや革命後のパリで革新的に多感な生活を送り、フランス人アネットとの間に女の子までもちながら(このことは彼の生前には隠されていた)、なぜか一人で故郷の湖水地方に帰えった。その後幼馴染のメアリーと結婚し家庭を持ち後半生の50年をそこで生活した。詩作については前半生の作品がより新鮮で優れたもので後半生では桂冠詩人の名誉は得たものの、子供の相次ぐ死や弟の海難事故などの不幸に遭遇したことなどあり作風が保守化、固定化したとの評価がなされている。

私は今夏ケンブリッジに2週間滞在した間の週末を利用して湖水地方を訪れた。夏は水仙の季節ではないがとに角、景色だけでも見ておきたかった。ケンブリッジを土曜日の朝9時の急行電車で西へ向かって出発。バーミンガムで乗り換えオクセンホルムを経てウインダミア駅まで約6時間。オクセンホルム駅に30分遅れで着いたためウインダミア行きの電車はすでに出発しており、次の電車までの1時間をホームの待合室で過ごすしかない。構内アナウンスは無い。一緒になったメリーポピンズのようなおばさんは「黙ってがまん、我慢するほか無いの。でも、もし列車の遅延による被害が甚大なら、その時は鉄道会社の社長さん宛てに長文の苦情書を送付するの。急行代金と慰謝料が返って来るそうよ。」といいながら、アメリカからの旅青年と、孫を連れたおばあさんと、私にバスケットの中から取り出した小さなオレンジを配ってくれた。ウインダミアからはダブルデッカーに乗ってインターネットで予約したB&Bのあるアンブルサイドまで。バスは湖と山と緑の木々、瀟洒なホテルや民家が点在する中をぬって風を切って走りぬける。宿に到着した時はすでに、夕方5時近くなっていたが北国の町は真昼の明るさの中にあった。

夕食までには未だ時間があるのでワーズワースが最後の37年間を過ごした家が記念館になっているというライダルマウント Rydal Mount まで行くことにした。B&Bの女主人に道を尋ねるとバス通りが簡単ではあるが、自動車ばかりでつまらないから、裏手の公園の中を抜けて丘と小川のほとりのフットパスをどこまでも歩いて行くと30〜40分で着くとのこと。甘い空気に包まれた小径の散策は快適ではあったが、ひと気が少なく心細くなり始めた頃、遠方にバス通りが見えてきた。バス通りを5〜6分進み教会の前を右折し急な坂道を登っていくとライダルマウントがあった。しかし、5分前に閉館していた。時間のことをすっかり忘れて異国の山野を巡るウォーキングに夢中になりすぎたことをちょっと後悔したが、翌日到着するロンドンのOさん夫妻と一緒に再訪問することにし、B&Bへの帰路はバスに乗った。帰路はたったの10数分だった。部屋に帰りシャワーを浴びて洋服を取り替え隣りのレストランに行き、地ビールを飲みながら美味しいスコットランド料理の夕食とした。23ポンド90は少々贅沢。

翌日曜日も晴天、昨夜ウインダミア泊のO夫妻とバス停で合流。旦那様はアメリカ人で初顔合わせだが奥様のほうとは国際電話局オペレーター時代を長らくともにした仲間である。昨夕歩いたコースを3人でおしゃべりしたり写真をとったりしながら足取り軽く進んだ。ライダルマウントの記念館の庭から眼前に茂る木立の向こうに広がる湖と丘を心ゆくまで眺め続けた。美しい詩が浮かんでくるかと期待したがそれは無理。次ぎの Dove Cottage へとバスに乗った。

ワーズワースが1799年から10年間ほど暮らし多くの詩作の場となったダブコテッジもバス通りから少し入ったところにあるが、パブを貰い受けて住居にしたものといわれている。ライダルマウントのような高台ではないので眺めは劣り、暗く湿気がつよい。ワーズワースと長らく同居した妹のドーラは結核をおそれて夜は半身を起こした形で就寝していたそうで、ベッドの短寸なこと。(その後、彼女は結核を患った)ワーズワースはシンプルライフを好み、朝食は日本のお粥より不味いポーリッジだけ。客人として滞在していたウオルター スコットは困った末、毎朝裏窓から山道に出て近くのレストランで朝食をとり、そのご何食わぬ顔でポーリッジの朝食卓についたとか。裏の斜面に建てられた小さなアズマヤで持参のお弁当を食べ、隣接する博物館でワーズワースの遺品や写真、数々の詩の朗読を聴いた後レモネードで乾いた喉を潤し帰路のバスに乗った。O氏は月曜日は仕事なので今夜の内にロンドンに帰らなければならない。O氏の趣味は自宅で静かに本を読むこと。5年前に赴任してはじめての湖水地方だったそうだが感想は「中禅寺湖のほうがいい」とのこと。

私は何となくうれしい気がした。その夜は雨になった。月曜の早朝雨の中、私もケンブリッジに向かう急行に乗った。帰路も電車は1時間以上遅れた。2泊3日の旅ではもっと方々を訪れることができたはずであったが、1地点に留まり深く味わうことができたことに満足し、又いつか早春の頃、訪れることができるよう願ってやまない。


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