トップページ アーカイヴス 目次 机上再旅行

6−4 机上再旅行  −旅の快適性−

本計画による旅の属性は『へそ曲がり精神の発露とそれに基づく実験』である。したがって、企画、立案の段階においては、旅自体の快適性は眼中になく、完全に度外視される。 しかしながら、これを実行するに及んでは、成し得れば、なにがしかの快適性があるに越したことはない。旅は本来難行苦行である(第6章冒頭)とはいえ、旅の目的、形態を問わず、部分的、副次的には楽しみの局面も生起するはずである。
よって、得られることあるべき快適性の検証のため、前記『最終成案』による机上再旅行を試み、そのなかで興味の対象となるべき風物を捜してみることにしよう。

------ 東京〜大阪 へそ曲がり 机上再紀行 ------

小田急新宿駅を 05:31小田原行き急行の第1便で発つ。早起きは辛く、通勤用の車両は面白味を欠くが、我慢しよう。1時間ほど乗れば、車窓に、朝日を全身に浴びた丹沢山塊の雄姿が眺められるからだ。そこからまた20分、新宿からは1時間半で小田原に着く。
駅前からバスで一気に箱根町に向かう。悠長に登山鉄道などに乗っているヒマはない。箱根は天下の景勝地、バスからでもその景観は鑑賞できる。とくにバスが国道1号の最高地点を過ぎて行く手に芦ノ湖が姿を現わす辺りがいい。
箱根町で沼津行きのバスに乗り継ぐ。乗ると間もなく高原状の箱根峠を過ぎ、駿河湾への下りにかかる。ここ箱根の西坂は、東側と違って視界を遮る樹木が少ない。富士を背に、右に左に大きく蛇行しながら、眼下に駿河の里を俯瞰するバスのダウンヒルは壮快だ。
沼津で乗り換えたバスで駿河湾岸を西へ進む。変哲のない真っすぐの道は退屈、という勿れ。この道は江戸時代の旧東海道そのものズバリなのだ。五十三次の時代に思いを馳せれば興も湧こう。それに、晴れていれば家並みの切れ目から裾野をいっぱいに広げ切った富士が眺められる。吉原、富士駅前と2回、バスを乗り継ぐ。この辺りも、若干のブレはあるが概ね旧東海道に重なる。急流を橋上から見下ろしながら富士川を渡り、由比の町外れでバスは終着となる。
ここから薩捶峠をハイキングで越える。3キロの峠道を歩くのはキツイかもしれないが、ここはこの旅のハイライトである。快適性は最高潮に達するハズだが、それは第2〜3章に述べたからここでは省略する。
興津の手前でバスをキャッチして清水へ。都市化した沿道風景に面白味はないが、興津駅を過ぎて間もなく、東海の名刹「清見寺」の格調ある山門は車窓から一瞥を投げるに価する。 JR清水駅前に着く。ここから清水鉄道「新清水」駅まで、前回は歩いたが、意外と距離があるのでバスに乗ることにしよう。市内バスはターミナルから頻発している。
新清水から静岡鉄道の電車で新静岡のターミナルへ。そこから藤枝までのバスは運転本数も多く、乗継ぎは円滑である。静岡をあとに、安倍川の鉄橋を渡るとバスは緑濃い山地に分け入る。宇津ノ谷峠である。ここも旧東海道の難所の一つだったが、バスは国道1号のトンネルを難なく抜けて岡部の町に入る。ここから先、長い市街地が続く。時刻も夜となり、街の灯に賑わう街道を走行して終着の藤枝駅前、今夜の宿泊地である。
翌朝も早立ち。藤枝からは前回とルートが変わる。往年の石畳の難所・金谷坂を避けて榛原/牧ノ原地区を迂回するコースで、前回の難渋とは打って変わって乗り継ぎは極めてスムースである。まず、藤枝駅の跨線橋を渡って南口に回り、相良行きのバスに乗る。延々と続く県道沿線は都市化が進み、殺風景だが、首都圏在住者にはなじみの薄い土地だから車窓を凝視しよう。何か見知らぬ風物を発見できるかもしれないから。
相良でバスを乗り継ぐ。遠州灘に近づくころには四囲の風景もなごんでくる。車窓からは海は見えないが、その気配は感じられ、気分も晴れる。次の乗り継ぎ地、浜岡はゆったりとした明るい町だ。そののどかさは原発の所在地であることを忘れさせる。進行方向は西北に変わり、茶畑の丘陵を進めば掛川、道は東海道に復する。
掛川は『山内一豊の妻』の説話で知られる城下町である。小ざっぱりした町並は散策の気分を誘う。もしもその時間がなければ、せめて駅前広場から北を望もう。小高い丘の上に、復元成った掛川城が白亜の天守閣を屹立させている。
その駅前。天竜浜名湖鉄道が、JR駅の隣にちょっとメルヘンチックな駅舎を構える。そこから、ボディをカラフルな絵で彩ったワンマンカーに乗り込み、茶畑の里を行く。小さな無人駅に小まめに停りながらの2時間余は退屈するかもしれない。が、後半、左手に広がる奥浜名湖の素朴ながら温和で明媚な情景が、その倦怠を癒してくれるだろう。
つづく


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