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終 章

(むすびに代えて)

安易な常識に反旗をひるがえした着想に始まり、試行錯誤の旅の道中を記述し、『総括』では地域交通論も展開したが、ここで plan - do - see の輪を完結させよう。
この実験旅行の動機および属性は序章にて縷々述べたところであるが、ここで手短かに繰り返そう。この旅は『安直な常識の裏をかいて、その意外性を楽しむ』知的遊戯であり、具体的には『東京〜大阪間移動の手段として、長距離輸送を本来の属性とする機関のすべてを排し、地域生活路線だけを用いる』実験である。これを机上の遊戯にとどめず、敢えて実行にまで及んだのは何故か、終わりにあたって、それを『告白』しようと思う。

私は旅が好きである。
そして世も旅ブームである。旅行業者は繁盛し、旅行ガイドブックは書店に溢れ、著名観光地はどこも老若男女が群れをなしている。その『旅』というのは、マイカーや観光バスで有名な観光地に押しかけ、観光業者お仕着せの施設で、お仕着せのガイドに満足し、名のある旅館を望んではそこに泊まり、名物料理を食べ、温泉に浸り、定番のお土産を求めて帰る、というお決まりのパターンが多い。
このような観光ガイドブックをなぞるような既製品の旅でも、日常からの脱却にはなるし、それなりの楽しみもあろう。それで満足するのはその人の自由だから、とやかくいう積もりはない。けれど私自身は、これじゃ駄目だ、と思う。少なくともこれだけじゃ仕様がない、と思うのである。
私は旅が好きである。そして、この国土が好きである。
幾十年を過ごし来たこの国土に、こよない愛着を抱くが故に、その国土の各地を広く、くまなく訪れてみたいと思う。そしてそれを少しずつ実行してきた。そういう旅であるから、行き先は必ずしも観光地とは限らない。観光ガイドブックには決して載ることのない無名の地−−、そんなところへ行ってみても今は何処も同じではないか、とはよくいわれることだが、一見何の変哲もない地でも、愛着を以てその自然と人文に触れれば、必ずや、何かを感じ、何かを得られるはずである。
ただし、何かを得るためには何かを持って行かねばならない。つまり、テーマが要るのである。『テーマのある旅』とは、分かりやすい具体例でいえば『私淑する人物の生誕地を訪ねる旅』などがそれに当る。すなわち、『テーマ』とは、旅先で何を、何のために求めるか、を明確かつ具体的に意識した欲求ををいう。『明確な旅の動機』と言い換えてもいい。
私は旅を愛好し、旅を望むが故に、いつも旅の『テーマ』を捜し求めている。
上述したこの旅の動機と属性は、その『テーマ』の一つである。
私は、ある時期、ふとしたことから東海道に関心を注ぎ始めた。広重が描き、十返舎一九が語った五十三次の東海道、その沿道の名もない各地を訪れ、旧街道と現代の道とを見比べているうちに、ふと"東海道は、今、長い長い繋がった市街地となっている"という概念が頭に浮かんだ。市街地化という事象自体は昨今一向に珍しくはない、が、それが細長く延々と繋がっているということに興味を感じたのである。そして、それを実際に検証してみようと思い始めた。それは概念的には『東海道メガロポリス』という言葉が指す衆知の事実かも知れないが、私はそれをより具体的な形で、この目で凝視したいと考えたのである。そこから"東阪間では、ローカル公共交通路線が、切れ目なく高密度で繋がっていることを実証する"というテーマが芽生えたのであった。
実をいうと、この『JRを使わずに長距離を移動する』という発想は、私の創案ではなく、十数年ほど前に幾つかの先例がある。それは鉄道愛好家が、その愛好の主対象である国鉄(またはその後身のJR)へのシンパシーを裏返しの形で表現するための遊戯であった。これはやがて、路線バスの衰退が始まると、プランが成り立たなくなり、消えていった。しかし私は、上記推論から、対象を東阪間に限り、かつ、バスで繋げない箇所は徒歩をも辞せずとの覚悟(?) を以てすれば、復活は可能ではないか、と考えた。このことが前記テーマと結びつき、JRに加えて高速道路など幹線機関のすべてを否定する実験旅の構想へと繋がっていったのである。

私はこのプランに、敢えて『へそ曲がりの旅』を標榜し、『限りなく愚行に近い奇行』なる副題を添えた。ありきたりな観光旅行の氾濫に対する批判として、『安易な常識への挑戦』の姿勢を明確にしたかったからである。

奇行、愚行と銘打ったこの旅が如何なるものであったか、その評価は、ひとえに、この文の読者に委ねられる。
愚行は阿呆(房)の所業である。さすれば、序章冒頭で引用した『阿房列車』の書き出し部分を今一度ここに引用して、この阿呆らしさ極まる紀行文の筆を収めることとする。

『阿房と云ふのは、人の思はくに調子を合はせてさう云ふだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考へてはゐない。用事がなければどこへも行ってはいけないと云ふわけはない。・・・・(内田百閨j』

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 長らく、拙作『東阪へそ曲がり紀行』をお読み頂き、有難うございました。作者として厚くお礼申し上げます。
 ところで、この姉妹編として 『へそ曲がり奥の細道』 なる紀行文が手元にあります。関心をお持ちの方は、下記アドレスまでご一報ください。フロッピー、またはハードコピーをお送りさせて頂きます。
tukamo-a.c@mc.neweb.ne.jp
塚本 昭


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