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("現代東海道路線バス"考)

箱根越えのバスは13:15三島駅前に着。 13:33三島発、沼津行きの東海バスに乗り継ぐ。
沼津までのルートはJRや国道1号とも離れてその南側の住宅地を辿る。清洌な富士の湧水で知られる柿田川をかすめる。大きな国立病院前では通院の人々が大勢降りる。近時、路線バスの主たる利用者はどこでも大病院の患者である。 14:10沼津着。
さて、ここ沼津。
ここまでは、小田原までが"首都近郊"、そこからの箱根越えは"著名観光地"であった。これらは全国版時刻表にて行程を検討し、事前に旅行計画を練ることが可能なエリヤである。然るに油断と慢心からそれを怠り、箱根では相当な時間ロスを招いてしまった。けれど済んだことは仕方がない。ここから先は、いよいよ"ローカルバスの乗り継ぎ"による無準備、無計画の移動、という本プロジェクト独特の行動に入る。

そもそも、ローカル路線バスをタンデムに繋いで長距離を移動するという発想は、本『へそ曲がり旅行』の核心をなす手法であって、そのあり様如何は実験旅行の成否を直接に左右する。したがって、ここであらためてその所以について吟味を深め、その意義を明確にしておく必要がある。
昔日、この国を隈なく覆っていたローカル公衆バス路線は、今、ほとんど姿を消した。マイカー普及の故である。日常の所用や交際のための移動はもちろん、地方では通勤もマイカーであって、バスの乗客といえば中・高校生の通学と老人の病院通いだけとなった。したがって路線バスが生き残れるのは、住宅や企業が高密度で蝟集し、街路はいずこも駐車が不如意で、生活、通勤にマイカーの使用が難い市街地、乃至それに準ずる地域に限られてきたのは当然の成り行きといえる。
このような趨勢にもかかわらず、私は、東海地方に限っては未だバス路線は健在の筈であると考えた。『東海道メガロポリス』と呼ばれる該地帯は人口密度が高く、経済活動も盛んであって、したがって、この長い帯状の地帯全体が一連の市街地と見做し得るからである。
さらに私は、次のことに着目した。域内にはJR東海道本線が貫通している。同線は長距離大量輸送の役割を新幹線に譲った後、地域の通勤・生活交通機関として有効に機能している(これは実際にこの線区の鈍行電車に乗ってみることにより感得できる)。しかしながら、元来が幹線鉄道として建設された東海道本線は、その駅間距離が概ね4〜6キロである。この駅間距離は生活/通勤用としては明らかに長過ぎるのであって、その故に、補完のためのバス路線が必須となる。すなわち、東海道本線には、全線に亙って必ずバス路線が寄り添っていなければならない。
さすれば、JR東海道本線に沿って駅間を追ってゆけば、必ずバス路線を捕えることができる筈である。これが、本旅行計画成立の所以なのである。
よって、ここで付言すれば、この形の旅行は『東海道、東阪』間だからこそ可能なのであって、他のエリヤ、例えばみちのくの『東京〜盛岡』などでは成り立ち得ないのである。
本計画の主たるモチーフは、さきに序章にて述べたとおり新幹線/高速道依存一辺倒という"陳腐な常識"への挑戦なのであるが、今一つ、上記の『"東海道・路線バス考"の検証』が枢要な属性である。これは人文地理学の調査テーマある。

旅を実行に及んで、結果として、上記の私の推論は、概観としては当っていた。しかし、その全域をすべて市街地、と断定したのはいささか乱暴であった。ミクロに見れば然らざる箇所はいくつか点在し、ために悪戦苦闘を強いられることになったのである。それらは次回以降の章に具体的に記述されるであろう。