四 季 雑 感  (15)               樫村 慶一

ペルーにまた日系人大統領が出現するかもしれない
  ペルーの大統領選挙に関心持っている日本人なんてあんまりいないんじゃないだろうか。ましてや、今のこのご時世によその国の大統領なんて、誰がなろうと知ったこっちゃないと思うのが当たり前だろうと思う。書いている自分でもそう思うのだから。しかし、全く日本とは表面的なお付き合いだけの国とはちょっと違うのがペルーである。なにせ、移民の歴史も長いし(今年で112年目)、ペルーの国の経済に大きな影響を及ぼした時代もあるし、1990年には大統領までが日本人になった国である。それに、日本との関係が反日から親日まで何回も極端に揺れた国である。その国に、6月にはまたまた日本人の血を引いた大統領が出現するかもしれないのだ。
  日本がペルーと関わりを持つようになったのは、1872年(明治5年)に横浜港でペルーの貨物船マリア・ルス号から脱走した中国人労働者を保護したことから対立したのが契機である。その後1899年(明治32年)に佐倉丸で最初の日本人移民832人がカジャオとカニェーテに上陸、勤勉性が認められ日本(人)の評判が良くなった、しかし1939年(昭和14年)以降は反日感情が高まり太平洋戦争で最悪になった。終戦後もなかなか国交が回復せず、没収した財産もついに返還されていない。その後、日本経済の復興と共に援助が増えるにつけ親日感情が回復、フジモリ大統領の出現で頂点に達した。反日と親日がこれほどまでに揺れた国も珍しい。
  そのペルーで4月に大統領選挙があり、有力候補者が4人立候補したが誰もが過半数を取ることができず、1位と2位で決戦投票が行われることになり、それが6月5日である。第1回投票の確定獲得率は1位になったオジャンタ・ウマラ氏 が31.7%、2位のケイコ・フジモリさんが23.6%である。両者とも貧困層からの支持が中心だが、フジモリさんの父親のアルベルト・フジモリ氏は、地方に道路や病院、学校などを建設するなどで農民や貧困層の支持が高かったが、その後はこれらの人々とは距離をおくようになっていった。一方ウマラ氏はと言うと、2006年の大統領選挙では資源の国有化等を掲げてトップで決戦投票に臨んだが、ベネズエラのチャベス大統領の影響が強いことが保守層に嫌われ、ガルシア現大統領に敗れた。こうしてみるとどちらも低所得層の支持が基盤であるが、急進的なナショナリズムを掲げるウマラ氏よりも父親の実績があるケイコさんの方が安心感があり、決戦では有利との見方もでている。
  しかし、順当ならウマラ氏の31.7%にアンチ・フジモリの前大統領トレド氏の獲得票16%を合わせた陣営が、ベネズエラのチャベス大統領の潤沢な資金援助を受けて有利な戦いになるであろうが、急進的な国有化等を目論むウマラ氏の当選を阻止しようとする米国が、いろいろ画策をすると予想する人もいる。2006年の大統領選挙の決戦投票でウマラ氏が負けたのも米国の作戦だったと指摘する見方もある。ケイコさんが当選しても父親時代のような親日国になるかどうかは分からない。逆に”日本人の血を引いていても、生まれも育ちも全く外国人である”、という典型になるかもしれないという人もいる。
  一時は有名人でもあったアルベルト・フジモリ元大統領は、まさに”飛んで火にいる夏の虫”の如く、わざわざ捕まりに帰ったような形で、逮捕され禁固刑で服役中である。私は、それにしても、日本政府はフジモリ氏に冷たかったのではないかと思ったので、この辺の消息に詳しい友人に聞いてみたところ、『フジモリさんが日本に亡命した当初は、外務省はペルー政府からの身柄引き渡し要求などに対してかなり庇っていた。しかしだんだん態度が傲慢になり、外務省のキャリアー達に嫌われるようになってきた。その上政界で彼を支えてくれていたのは、橋本龍太郎氏(故人)と鈴木宗夫氏(服役中)くらいになってしまい、政界の庇護も弱くなっていたうえに、2007年の参議院選挙に立候補したことで、決定的に日本での立場が悪くなり、居にくくなったのだろう』 と解説してくれた。娘が大統領になれば処遇が変わると期待する向きも多いようだが、ケイコ氏自身は「神に誓って父の釈放はしない」と有権者に訴えている。 ということで、6月5日が面白い、久しぶりに外国ネタのニュースに興味を感じている。
 
【写真はペルー大統領府;アスンシオン市在住 田中祐一氏撮影】  (2011.5. 1 記)