四 季 雑 感 (7)
遥かなる国の遥かな気遣い
樫村 慶一

  暑い暑いでこのところ一時的ではあるが、新型インフルエンザのことを忘れていた人は多いと思う。ところが、お盆が過ぎた先日の新聞に、遂に日本で死者がでたと報道されて以来、患者の発生が鰻上りの様相を呈している。北半球は真夏でも流行は収まらない。新型インフルエンザの恐ろしさが再び思い起こされ、秋以降の流行に神経が逆立つ思いである。元来、私は喉が弱く、歳を取るにつれて咳がつづき、痰がからむ。体にウイークポイントがあると感染しやすいと言われているので、秋までには十分対策を取らなければと思っている。掛かりつけ医は、早く罹りタミフルを飲んで3日間寝ていれば治ってしまう、早めに罹った方が軽くて済むと簡単に言っているが、果たしてどうなのだろうか。すでにマスクだけは夫婦で200枚を備蓄した。このくらいあれば間にあうと思っているのだが、やっぱり不安はおさまらない。
  一方で真冬の南半球では、このインフルエンザ・ウイルスが猛威を振るっている。私に縁が深いアルゼンチンでも、感染者は8月15日には6768人に達し死者は338人に上り、さらに増加していると報道されている。この他の主なラテン・アメリカ諸国の最新の患者数は、メキシコ 18861(死者163)、チリ 12104(105)、ペルー 5743(45)、ブラジル 3642(338)、ボリビア 1111(14)、キューバ 264、パラグアイ 261(27)などとなっていてどこの国も右肩上がりである。8月15日現在の患者数は下図の通り。
【中南米諸国の新型インフルエンザ患者数】

  さて、話しは25年前に遡る。私達夫婦は当時駐在していたアルゼンチンで、あるお医者さん一家と知り合った。毎年、クリスマスと、夫婦のそれぞれの誕生日と、7月20日の 「アミーゴの日(友人の日)」 には、お互いにささやかなプレゼントを交換し合っていた。アミーゴの日とは、バレンタインデーのように国の祝日ではないが、親しい友人同士が心ばかりの贈り物をしたり、食事などを楽しむ日である。私達一家も、日本調の品物を贈ったり、食事を一緒にしたりしていた。そして、この習慣は、帰国後25年になる今もずっと続いている。 彼らは、イタリア移民の子孫で、夫は建築技術者、奥さんは小児科の医者である。15年前には日本を含むアジア観光旅行の途中3日間ほど来日した。一瞬のような滞在日程をさいて我が家に来て、日本の風呂に入り浴衣を着ておおはしゃぎしたのが懐かしい。その後、9年前には私達がセンチメンタル・ジャーニーを実現、彼らの家で旧交を温めたものである。今年もアミーゴの日がある7月がやってきた。しかし、プレゼント交換も25年も続けていると、贈るべき品物の選択に迷うようになる。今年は何にしようかと悩んでいた7月始め彼らからメールがきた。
  「今年はプレゼントは贈らないことにします。理由は、新型インフルが猛烈に流行し始めたので、貴家に、日本に、アルゼンチンのインフルエンザ・ウイルスが汚染するのを避けるためです」 という内容のものだ。思いもよらない内容である。ウイルスの寿命が幾日が知らないが、封筒にくっついて来たウイルスが日本で暴れだすことは十分に考えられる。彼らから来るアルゼンチンのプレゼントは、妻宛てのものが多いのだが、正直言ってここ数年、小さな袋物とか木製の彫り物とかで、すでに持っているものや日本人の好みには合いにくいものが多く、若干食傷気味であった。「まあ、そういうことなら別に送ってこなくてもいいじゃないか」 と妻と話し合っていたが、よく考えてみると、私達への心使いばかりでなく 、2万キロの道中の途中で接触する多くの人手や機材などへの感染までも心配していることが分かり、流石医者だねと、妻と大いに感心し、改めてその用心深さに敬服した。アルゼンチンの郵便事業は1990年代半ばに民営化されてからは綱紀も引き締まって信頼性も高まり、所要日数などもかなり短縮されてきた。EMS(國際スピード郵便)の封筒に入りさえすれば、干菓子や金平糖なども送れるようになった。されど、便利になった今だからこそ、「たかが封筒の一つくらい、つまらぬことを気にすることはない」、と笑ってはいけない。医者なればの発想ではあるが、送り相手への感染を防ぐことだけに気を使うのではなく、少しでも国外への感染を予防しようとする意識を持つ友人に心から敬意を表し、他山の石としたいと思ったものである。
(2009.8.20記)