Sugar & Salt Corner
No.13    2004年5月14日
佐藤 敏雄 

雨どいが君が代を歌う!?

無線は古くて新しい技術。そんな実例をご紹介しましょう。
私は今、携帯電話の基地局用アンテナを作る会社の顧問をしていますが、昔苦労した混変調 (今は相互変調積=Intermodulation=IMと呼びます) と呼ばれる雑音が大問題になっています。 先ずは昔話から −−−−−−

(1)雨樋は歌う
昔、昔、大昔、KDDの新入社員だった頃、八俣送信所で深夜勤務をしていた時のことです。夜半、 社宅の屋根の辺りからおかしな声の君が代が聞こえるのです。不気味なことでしたが、やがて屋根の 雨樋が歌っていることが分かりました。当時の雨樋は今のような塩ビ製ではなく銅で、これを支持 していたのが鉄の針金だったのです。接触不良をしている2種類の金属部分が半導体検波器として働き、 国際放送の終了時に流される君が代が乗った100kW送信電波の漏洩成分が検波され、雨樋が君が代を 歌っていたのでした。電波は殆どが平行2線のフィーダーでアンテナまで導かれるのですが、そ の一部が周辺に漏れていたずらをしていたのです。これIMの仕業というものです(IMの詳細は付録で)。

(2)火花は歌う
八俣ではNHKの国際放送を請け負って放送していましたが、あの頃は100kW送信機の最終段増幅器が時々超短波 の発振を起こしました。すると赤や白の巨大なアークが送信機の中で燃え上がるのですが、このア−クが送信出力 を検波して(再び)君が代を歌うのです。ボリュームの大きい時には高く、小さい時には低く、炎と共に歌う アークは中々美しい見ものでした。勿論、咄嗟に消さなくては危険です。最初の頃は高圧電源を落としていましたが、 電源を入れなおすと復旧に時間がかかります。やがて、中間増幅器の同調をずらせば、あっと言う間に火花は消え、 すぐに復旧できることを発見!した思い出があります。このような放電によって生じる火花(アーク)も非線形の 性質を持っているのです。

(3)短波受信機
今度は受信機。上福岡や小室にあった国際通信用の短波受信所では、多数のロンビック・アンテナや アレー・アンテナを一台の受信機につなぎ、電離層の状態に応じ周波数を切り替え、外国からの国際電話の電波を 受信していました。広い帯域内の多数の電波を増幅するため真空管を用いた、20MHzという当時では「非常に広い」 帯域の高周波増幅器(トップアンプ)が使われていましたが、この真空管が持つ非線形により、強い外来電波が 入ってくるとIMが発生し、混信となって通信に支障をきたしていました。電離層の状態により電波の強度は大幅に 変わりますので、その原因究明には苦労したものです。対策としては、トップアンプの直線性を改善するしかなく、 ネガティブ・フィードバックをかけた方式などを採用した記憶があります。 IMは次数nが高いほど振幅は小さくなるのですが、一方では入力波の強度のn乗に比例して大きくなりますから、 入力信号が大きくなってくるとあっという間に強烈な混信を引き起こします。余談ですが、本件に関する実験と 分析の結果が私の電子通信学会に対する初めての論文となりました。

(4)周波数配列で逃げる
時代は進んで、衛星通信、それも海上の船舶に対する通信に衛星が使われるようになりました。インマルサット (INMARSAT)システムでは、SCPC(Single Channel Per Carrier)という方式が採用されており、最大800波にも上る 信号が衛星のトランスポンダでまとめて増幅されるためIM発生が問題になりました。当然、トランスポンダには 直線性のよいトランジスタ・アンプが使われましたが、それでも波の数が多くなるとIMにより地球局の受信機に 干渉が生じます。これを避けるために、平田さん(現KDDI研究所会長)達が、衛星トランスポンダ増幅波の配置 に工夫を凝らすことを提案しました。IMが発生しないように増幅波の配置を調整するのです。周波数の利用効率 は悪いのですが有効な手段でした。

(5)MARISAT衛星
インマルサットでは、当初、米軍のマリサット衛星を借用してサービスを開始しました。確か第2号機で原因不明 の雑音が発生して担当者を悩ませました。結論から言うと、これは衛星の送信用フィルターの導波管の中にあった ハンダ屑によるものだったのです。雑音の出方からしてこれはIMによるものと考えられましたが、衛星製造業者の あらゆる製造履歴を調べても、疑われるような接触不良や異金属の接合部分は無いことが分かりました。それまで にも工程内で問題があったのだろうと思いますがハンダ屑が疑われました。問題は場所が宇宙空間の衛星上である ということで、今更清掃に行くわけにもいきません。頭をひねった衛星技術者たちが考え出したのは衛星を高速で 回転させることでした。マリサット衛星はいわゆるスピン安定型で、宇宙空間での姿勢を保つため、コマのように 3秒間に1回程度の速度で自転しています。このメカニズムを使って、地上からのコマンドでこの衛星を壊れない 程度の高速で回転させたのです。狙いは見事的中!雑音はきれいに無くなりました。
何故かって?それは、衛星を振り回すことによって、導波管内のごみを四角なフィルターの隅っこに押し付けること に成功したのです。ごみ、この場合はハンダ屑だったのですが、これを四隅に押し付けてしまえば、もうこれが ゴロゴロ転がって雑音を出すことはありません。

(6)PAM (Passive IM)
IM問題は、ヨーロッパ諸国が打ち上げたマレックス(MARECS)衛星でも発生しました。これは衛星搭載送信機の アンテナと同軸給電線の接続部分に異種金属の接合部があり、ここからIMが発生したものです。僅か100W程度の 送信機でしたが、衛星が飛行する宇宙空間は完全な真空ではなく若干のガスが存在します。金属の突起部分でネオン管 のような放電が発生し雑音となったのです。これは増幅器の非線形によるものではないのでPassiveすなわち受動型 IMと呼ばれました。

(7)携帯電話の基地局アンテナ
今や普及率80%にもなった携帯電話ですが、この基地局アンテナ(ビルの屋上などに立っているのをよくご覧に なるでしょう)でもこのIMが大問題になっています。ビルの中の送信機からアンテナまで、ケーブルで電波を導きますが、 その先にあるコネクターが元凶です。経年変化による接触不良や、設計間違いによる異種金属の接触点等から IMが発生するのです。衛星であったようなハンダ屑が入っていることもあります。全国では万、10万という多数の アンテナがありますから、これが発生するとさあ大変。新品のうちは先ず大丈夫なのですが、この悪魔、年数が 経つとそっと現れてくることが多いのです。どっちが悪いのだと責任問題化し、時には経営を揺るがすような大事件 になりかねません。

以上、昔話になってしまいましたが、いやあ、IMは古くて新しい問題ですね。いや今やワイヤレスなどと呼ばれていますが、 無線は古くて新しい技術なのですね。以下は多少技術的なお話ですので、興味ある方だけご覧ください。

(付録)IMとは?

ご存知とは思いますが、先ず実例を挙げて簡単にIMのおさらいをして見ましょう。IMは非線形回路で複数の信号を 増幅する場合に発生します。異種金属の接触は半導体であるトランジスタの例でも分かるように、非線形の代表選手 のようなものです。

非線形とは出力が入力に比例しないものを言います。比例するもの、すなわち線形の回路からの出力波は入力波の 1次関数で表されますが、非線形の場合には次数の高い項が発生し、その内の奇数次のものがIM (InterModulation) を起こします。偶数次のものは高調波と呼ばれます。例えば2次の項からは、入力した周波数の2倍の波が発生します。 このような高調波は周波数が基本波の2倍、4倍と大きく離れますので容易にフィルターで取り除けますが、 問題は奇数次のもので、これは入力波と殆ど同じ周波数帯域に落ちますのでフィルターでは分離することができません。
例としてケイタイで送信波がf1 = 800MHzとf2= 810MHzの2波があるとします。2次の項からは周波数が 2倍の高調波1600MHzと1620MHzが発生します。これは800MHzとはかけ離れた全く別の帯域ですからフィルターで 除去できますね。次に3次の項からは、よくご存知の2f1−f2と2f2−f1なる公式から、790MHzと820MHz が発生します。 これは元の800MHzのすぐ傍で、恐らくは付近に設定されている受信波の帯域に重なりますから、除去することが できないのです。

以 上       
  掲載済みS&S一覧次号  "アジア人留学生気質