ネットインタビュー (5-2)

--- 拘りの趣味 その2 ---

お二人のことを一編に纏めるのは難しく、分割することになりました。北田さん、伊藤さん、不手際お許し下さい。
磯村 栄一

1.車
(2) 伊藤整備士?の車

  伊藤さんは、車の機能をフルに使う、用途に応じた車を選ぶなど、車とはドライなお付き合いをなさっているようです。町田地区の猟友会の役員までなさっている 「ハンティング」 -- 鉄砲撃ち -- が車選定のキーとなっていると思えます。もう一つの趣味 「釣り」 もアウト・ドア・スポーツとしての共通点があり、ますます選定基準が先鋭化したのではないでしょうか。
  RV車の後部ハッチを開くと、猟犬が入る簡便な檻が陣取っています。幾つかの箱、袋に水、食料、簡便な料理道具までが整理して置かれています。伊藤さんと一緒ですと、少々の忘れ物が有っても心配無用です。アウトドア・ライフのための必需品が常備されている感じです。
伊藤さんの愛犬   伊藤さんの愛車を撮影したかったのですが、生憎と、車検向けに車内装備はデフォルト状態になっていました。代わりに伊藤さんの愛犬達、名バードハンター キャシーとリリーをご紹介します。
  一寸脱線しますが、ワンちゃんたちを野外で撮ることになり、伊藤さんのお宅の裏手を南北に走る「成瀬尾根道」に向かいました。街路を行く場合はしつけよく歩くのだそうですが、自然が残る尾根道に入ると2頭の様子が急変。草叢に残るコジュケイの臭いに野生が目覚めるようです。特に、リリー嬢の興奮振りには驚きました。伊藤さんが傍にいるからでしょためか、躾が良いのか、白髪頭がカメラを構え近づいてもワンちゃん達は吠えませんでした。
  脱線序でにもう一つ。料理と言えば、伊藤さんは山野での料理だけではなく、家庭でも料理の達人ではと思わせるところがあります。
  いつの事でしたか、伊藤さんが料理した野鳥の手羽先を食べたことがあります。磯村は 「とり」 は滅多に食べないのですが、その手羽先は美味しかったと記憶しています。一般に 「釣人」 は包丁捌きの名人でもあります。おそらく、北田さんも伊藤さんも入念に砥ぎ管理なさった逸品をお持ちなのでしょう。
  伊藤さんは、「車が好き」、「ドライブを楽しむ」 の一般的な領域から出て、車を道具として使っているように思えます。道具の使い手は、道具そのものの機能を追及し、不備があれば修復します。その意味で、伊藤さんは、自動車修理工場のチーフにもなりうるメカニック・メンバーです。箱根の国道1号線を車を連ね、走行しながらアマチュア無線で会話 (無線機に手を触れない、ハンド・フリーの安全運転で) した際、「車のどこそこが、どうこうだから ....」 という話が多かったようです。

Q.車はいつ頃から?

  私が車を購入したのは昭和31年頃です。ダットサン48年式(1948) 860cc/21馬力。エンジン始動はバッテリーが弱っているため何時もクランク棒を回し始動。100キロメートル走るとエンジンオイル1L補給、2ヶ月毎にグリスアップなど今ではとても信じられない超ポンコツ中古車。故障修理や調整は数知れず。一年ぐらいで修理技術、運転の腕も上がり初夏のある日友人4人と都内から箱根にドライブすることになりました。
  当時の道路の制限速度は高速車40k/m、低速車32k/mで交通渋滞などと言う言葉は耳にしたことがない。国道一号を小田原通過して箱根峠の登り坂とカーブにさしかかる。ダブルクラッチ操作でギアダウンしてエンジンを吹かすが、宮下を通過した頃からエンジンの出力が低下して走れなくなり、車を止めた。ボンネットの隙間から蒸気が出ており、エンジンが焼けるという現象を初めて経験しました。暫くエンジンを冷まし、冷却水を補充して峠を越えた。後にこの様子を知合いの自動車屋に話したところ 「車も運転手も箱根を越えれば一人前だよ」 と言われたことを思い出します。

Q.ご自分で整備した愛車を車検に出しているそうですが

  昭和40年当時車検費用が余りにも高いので独学で自動車整備技術を勉強。経験を積むため、知合いの自動車屋が整備した車で受検しましたが、駐車ブレーキ不良で不合格。車検場外の道路わきで調整して再受検し合格。その後、道路運送車両法を精読し、車の所有者が車検を受けることが可能であることを知り、以後ユーザー車検で受検しています。自分の整備能力を知るため自動車整備士の資格がとれる職業訓練指導員 (自動車整備) なる国家資格を取得しました。


  一時期、磯村も、浜からの投げ釣りで 「きす」 を狙ったり、中下流の川で 「やまべ」 釣りを楽しんだことがあります。ゴルフのショート・ゲームでワン・オンを狙うように 「きす」 のいるポイント?に投げ込むのですがこれが難しい。微妙な 「当り」 も習得出来なかったりで、釣りを諦めました。しかし、海でも川でも、自然豊かな釣りの現場は好きでした。

2. 釣り
(1) 相模川上流に下見

  アマチュア無線で定例になっている毎週日曜日の午前中、数人で 144MHz 帯 SSB で交信するのですが、釣りの話題になることが多かったようです。北田さん、伊藤さんが夢中になって話しをしている中に割り込むように「見学したい」 と言ったものです。こちらはハイキングのつもりでした。一度だけ、お誘いがあって同行しました。「あゆ」解禁前の 「下見」 でした。
  現場に近い中央高速の藤野PAで落ち合い、相模湖の上流の川原に向かいました。現場まで、急坂で、農道のように曲がりくねった狭い道を渓谷まで下ります。1台しか通れない吊橋をゆらゆらと渡る時は冷や汗を覚えました。仮駐車場?で下車してから現場まで、足場の悪い水際を歩くお二人の足の速いこと。「下見」 なる目的を持っているお二人が水面を見渡す姿、目つきが違っています。何やらオーラを感じたものでした。「下見」 ではない実際の釣行では、おそらくお供することは許されない、遊びの領域を超越した展開になっていると思いました。

  暫くして 「下見」 が済んだのか、「磯村さん、その岩をご覧」 と仰る。初めは何のことやら判らなかったのですが、水中の岩を良く見ると、岩に付いた水苔に引っ掻いたような数条の筋が付いています。「あゆ」 が苔を食べた痕で 「食み痕」 と言うのだそうです。その状態から、釣り人は色々なことを推察するのだそうです。「下見」 を終え、昼。

(2) お好みの川

  帰途、行きつけの 「オトリ屋」 で情報収集。どうやら、相模湖周辺の相模川水系は伊藤さんのお好みのようでした。あれこれ聞こえてくる話では、北田さんは北関東の鬼怒川や那珂川水系がお好みのようです。何処がどう違うのか、門外漢には判らないことですが、それぞれ愛車を駆って、時には相乗りで、交互にお互いのお好みサイトを訪れているようです。

雌雄の大鮎

Q.北田さん、何故、鬼怒川、那珂川?

  バブル終期にかけて便利な処は川の汚染が残り、栃木、茨城はその点未だ救われていました。大きな河川で、流れが速いところで育つ鮎ほど大きいと言われています。かつて、栃木県氏家の鬼怒川に架かる新幹線鉄橋上流で。30センチにもなる雌雄の大鮎を掛けたので、記念に剥製にしていますヨ。

Q.伊藤さん、何故、相模川?町田から近いから?

  自宅から近いのと相模湖より上流部 (桂川) は水、川ともに大変きれいだからです。近年、相模川本流は良く整備され関東有数のアユの名川となりました。

Q.北田さん、何故、海釣りではなく、川釣り?

  特にどちらと言うこともなく、季節に合わせた釣行になるのでしょうが、何と言っても鮎は針掛りした時の引きの強さが、あの色、香りの勝れた優美な姿態の何処に潜んでいるのかが神秘的な魅力です。

Q.伊藤さん、何故、海釣りではなく、川釣り?

  海の船釣りも楽しいのですが、釣船の出船時刻やて気象、交通渋滞など気を使うことが多く、川釣は行きたい時に気軽に行けます。

Q.KDDの釣り同好会?

  釣友会と言う本社の釣りサークルで会員が5〜60人で主に海の船釣りを行っていました。