トップページ アーカイヴス 目次 失敗だ、もうやめて帰ろう

(朝のハイキングは快適だった)

私は言った。「失敗だ、もうやめて帰ろう」
これは反語法による闘志の表現である。これきしのことで尻尾を巻く私ではない。
ここから興津までは4キロにも満たない。歩いて突破すればよいのだ。JR忌避/高速道否定を本旨とするこの旅行計画は、それ以外の手段には何等制約を加えていない。自然体の旅行として、適度の"徒歩"行は寧ろ歓迎すべきではないか。時間にしても1時間も見れば十分である。
ただし、当面の実行には大いに問題がある。薩捶峠の旧東海道は現在、ハイキングコースとして整備されてはいるが、もう夜である。夜の山道を歩くのは危険でハイキングの邪道である。ましてや海に沿う断崖の険路、灯火も持たずに強行すれば遭難ものである。
しからば崖下の国道1号を歩いては如何。法は天下の国道に歩行を禁じていない。だが、国1のこの区間には歩道/車道の区分がない。道は暗く、かつ蛇行し、そこを大型トラックが間断なく疾走する。そのトラックの運ちゃん達、こんな国道をテクテク歩く粋狂な人間がいるなんて夢想もしてないだろう。断崖の山道にも増して危険千万、自殺行為に等しい。
今日はここで泊まり、明朝、ハイキング気分で薩捶峠を歩こう。
由井の町の中心部なら旅館ぐらいはあるだろう。だが、前回述べたとおり、この駅は何故か町の中心から2キロも西に偏している。今更夜道を2キロも戻って宿捜しは気が重い。電車に10分か15分も乗れば旅館にでもビジネスホテルにでも容易にありつけると思うが、JRには乗れないことになっている。
私は、付近の電柱の掲示からこの地の番地/町名を確かめたうえ、駅前の公衆電話ボックスに入った。電話帳のタウンページを繰って、近くに旅館が一軒あることを知った。一安心である。だがまだちょっと気になることがある。一般に旅館は夜の飛び込みによる素泊まりを嫌うという。それに、まだ時刻は宵の口である。目の前の駅には電車が頻繁に通っている。その気になれば容易にどこへでも行ける状況であるにもかかわらず、何故、今、この地で泊まろうとするのか、一般の目には奇態な行為と映るだろう。さりとて、この旅行目的をありのまま話しても相手は理解しては呉れまい。気の触れた老いぼれ達、と気味悪がられること必至である。
私は一計を案じた。薩捶峠がハイキングコースであること、東海道旧道歩きが今静かなブームを呼んでいること、の2点を勘案し、次のような電話を旅館に入れてみた。「老人の二人連れ、趣味で東海道五十三次を歩いている。今日のうちに薩捶峠を越える予定だったが日が暮れてしまった。明日早朝に峠越えしたいので泊めてほしい」と。この言、おおむね事実であって、下線の部分だけ若干のモディファイを施した。これなら正常な常識人の行状と見える。
旅館は朝食付き1泊を快諾し、我々は、健康で旅好きな二人連れとして快く迎えられた。今から夕食は準備できないから、と気の毒がって近くの大衆食堂を教えてくれたりもした。 かくして、こと今夜に関するかぎり一件落着。以上の経緯、書けば複雑で長いようだが、思考と行動に要した時間は十数分間。「よくも短時間にこれだけのことを考え、処理できる」と紐育君は私をほめた。 気をよくした私は、くだんの大衆食堂で杯を重ね、かなり酩酊した(名物・桜えびの唐揚が旨かったせいもある)。そして旅館『見晴荘』は、設備も、サービスも、そして接客の感じも、意外といえる程に良かった。

明けて11月28日早朝、私たちは朝日を全身に浴びて二日目の行動を開始した。
薩捶峠から眼下の駿河湾を隔てて富士を望む、この光景は広重の絵で知られているが、最近は大気汚染のため白く霞んで冴えないのが普通である。それが今朝はハッキリと見えた。眼福である。私たちはツキを感じながら足取りも軽く、歩を西へ進めた。
旅は軌道に乗り、順調に進むであろうと思えた。行く手に更なる障害が待ち受けていることに、この時点では気付く由もなかった。
つづく


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