【四季雑感】  (10)
    
地震のシリーズは終ったけどグルメにはちと心配な話                    樫村 慶一

  今年に入ってたて続きに起きたハイティ、チリの大地震の新聞報道が、ようやく雑記事のレベルに落ちてきた。当事国ではないので仕方ないが、やっぱり喉元過ぎれば熱さ忘れるの類であろう。復旧の問題でハイティとチリの決定的な違いは何かと言うと、それは政府が存在しているかしていないか(機能しているかどうかということ)の違いである。 ニュースが少ないのでよく分からなくなってきているが、ハイティの復旧は国連とか先進国とか、いずれにせよ人任せにせざるを得ないのに対し、チリは自力復興ができる。建物にしても都会のビルも地方のインディヘナの家も、ちゃんと耐震構造にできており、地震大国らしき備えができていた。これも1960年のM9.5の大地震の教訓であろう。
  先日の地震の震源地は、南緯37度のほぼ真上に位置する海岸の町コンセプシオンの沖合いだ。私は2000年の3月にプエルト・モンからサンティアゴまで約1000キロをバスに乗り、この近くを通った。バスの走る国道5号線は鉄道と平行して走っているが、右側の車窓から見える風景は、見上げるようなアンデスの山並みに向って登るゆるやかな傾斜地で、ユーカリとポプラの並木が続いている。ポプラの葉は表の緑と裏の白とが対照的で、遠くから枝葉が風に揺れるのを見ると、あたかもそよ風を受けた湖沼の水面に立つさざ波のように眺められる。

  地震の日本に対する影響は津波だけではない。まずワインがそうである。チリのワイン畑は、南緯30度からワインラベル40度くらいの間というから、サンティアゴの北からプエルト・モンの北辺りまでで、人口も多くチリの一番豊かな地域である。ワイン畑が受けた影響は大きかったと思うが、葡萄の木が受ける被害とはどういう形のものかは知らない。若し、新しい苗を植え替えなければならないとなったら8年間は収穫できない。これは大変である。折角20年くらい前から世界市場で品質に比べて値段が安いことを武器に、大躍進してきたチリ・ブランドの存亡の危機だろう。
  ヨーロッパが長年の栽培で土地が疲れ、国土面積からいって新しい土地の開発がままならないため、近年はオセアニアやカルフォルニア、それに南アフリカなどの新興勢力が台頭している厳しい日本のワイン市場で、ヨーロッパに劣らぬ伝統を持つ南米ワインの一方の雄が苦境にたつのは忍びない。やっぱり南米ワインはアルゼンチン・ブランドと2本立てがいろいろな意味からも理想である。どうかチリの味が絶えないことを切に願うものである。

  そして、ワイン以上に問題を呈するかもしれないのが”鮭”である。今の日本ではどこのスーパーでもデパートでも、魚を売っている所ではチリ産の鮭を売っていないところはない。世界の鮭の漁獲高第1位はノルウエーで39.6%、そして第二位がチリで 37.2%である。日本の鮭の輸入量は2008年が25万トンで、このうちチリからが16万トンもあった。これほど日本とチリの鮭とは切っても切れない関係ができている。しかし、ここまでの関係ができるまでには日本のJICA(国際協力事業団)の並々ならぬ苦労があった。
 1972年はじめからJICAは日本と緯度がほぼ同じ、環境も似たチリ南部のフィヨルド地帯で鮭の養殖試験を始めた。はじめは簡単に考えていたようだが、実際に始めてみると動物の本能の厳しさに打ちひしがれた。緯度は同じでも北半球と南半球は地磁気の影響とかで渦巻きも逆だし、台風の渦も逆など正反対の自然現象が多い。そのためかどうか放流した北半球育ちの稚魚が帰ってこないのである。これを17年間も続け遂に1989年に試験を断念せざるを得なかった。しかし、この夢のような事業は幸いにもチリ政府に引き継がれ遂に成功した。そして漁獲された鮭は日本の企業が買い取るという貿易形態が出来上がったのである。
  このように順調に養殖、輸出・輸入が行われてきた日本〜チリ間の鮭貿易に、今回の大地震によって黄色信号が灯った。理由は稚魚を養殖する池が山間部にあるため、池が破壊されたりあるいは水流とか水源が変わったりする自然現象の変化が起きて、今後、稚魚の養殖ができなくなるのではないかと言う心配である。日本の援助で世界第二位の鮭産出国にのし上がったチリが、いつまでも良質の鮭を供給してくれることを心から願うものである。
  これらの他にも、”うに”は日本の年間総輸入量約16000トンのうちロシアから約12000トン来るが、チリは第二位で約2200トンが輸入されている。これにも影響が出るかどうか気になるところである。でも、くろまぐろの漁獲禁止が避けられたのだから、鮭と”うに”くらいは多少は我慢しないといけないかもしれない。

  南米大陸の南半分は、昨年の雨季入り以降 (雨季は大体日本の秋から春先頃までに当たる)特に雨が多く、ペルーではマチュピチュへ通じる鉄道と道路が土砂崩れで埋まったり、ボリビアでも記録的な洪水が起きたり、アルゼンチン北部でも広い範囲で洪水が起きるなど、気候の変動が活発だ、そこへもってきて28年前の悪夢の再来と言われる、マルビーナス(フォークランド)近辺の石油開発を巡るアルゼンチンと英国の緊張もある。戦争がなくなった理想郷と化していたラテン・アメリカが、自然の脅威におびやかされる落ち着きのない地域に変わっていくのが悲しい思いである。 
 【カットはチリ・ワインの最高ブランド『コンチャ・イ・トロ醸造』の最高銘柄『カシジェーロ・デル・ディアブロ(悪魔の酒蔵)』のラベル】                                                             (2010. 3 .22)