地震の巣、ペルー太平洋岸を行く |
銀乃 川太郎 |
1. <パンアメリカン・ハイウエー> 去る2007年8月15日午後6時41分(日本時間16日午前8時41分)、リマから凡そ300キロ南のピスコ市とイカ市の中間あたりで強い地震があった。M7.9で最終的な被害は、死者595人、行方不明318人、倒壊家屋76000棟に上ったと発表された。ペルーを始めエクアドル、コロンビア、チリなどの南米の西海岸では、太平洋海底のナスカ・プレートが大陸側の南米プレートに沈み込んでいる。日本の東海沖と同じような構造だ。さらに、イースター島の北西の海底には1300余りの火山が群がっている。このため、南米の太平洋岸一帯は地震の巣になっている。中でもペルーは特に多い。その上を走るパンアメリカン・ハイウエーは地震街道でもある。 ![]() 2000年3月、私は、妻と現地在住の友人とリマから南へ凡そ150キロのカニェテまでを走った。前日には北へ200キロのアンカシ県の入り口まで行った。この道は、遠くアラスカから続いている南北アメリカ大陸の西側沿岸を走る高速道路である。名付けて「パンアメリカン・ハイウエー」と言い、チリ南部の町、プエルト・モンまで続いている。国際ハイウエーの終点は文化の終点でもある。ここから先の南米大陸は人間の住む所、行く所ではなくなる。しかし実際には、パナマとコロンビアの間の湿地帯には道路ができていないないため、途中で途切れている。現代の道路建設技術で道路が出来ない場所なんてあるはずはないので、これは、作れないのではなく作らないのだと思う。理由は良く分からないが、かって南米で流行した、牛や馬のひずめが割れる”こうてい疫”を中米までで食い止めようと、家畜が移動できないようにするためにわざと道を作らないのだという説がある。もう一つの理由の、戦略的な目的で、南北を地上で自由に行き来できないようにしておくためだという説。これは容易に理解できる。いずれも米国の都合による理由に他ならない。 リマ市内の南のはずれチョリージョの丘に別れを告げて20分も走ると左側に、日本の援助でNECが建てたルリン衛星地球局のお椀アンテナが見えてくる。ここの技術者が随分とKDDの訓練を受けに来たものだ。もう30年以上も昔になる。彼らもとっくに定年になっているだろう。このあたりまでは、まだ家が続いている。家はアドベ(泥を練って天日で干した煉瓦)を積み重ねた、全く地震に無抵抗の作りである。 昔、鈴木善幸さんと言う総理大臣がいた。1982年の8月、任期満了を前にした鈴木さんは、 車窓にはルリンに続いてパチャカマックの遺跡が見えてくる。パチャカマックとは大地の神という意味だそうで、プレインカの時代には壮大な神殿があったが、建築がみなアドベのため風化が進み、さらに再三の大きな地震で崩れ、太陽の神殿など重要建造物も消滅の危機にある。そのパチャカマックの敷地に入り、崩れかかった城壁に登る。ペルーからチリ北部の太平洋岸は、世界でも有数の強烈な乾燥地帯で、動物の死体など放っておいてもミイラになってしまう。まさか人間の遺体を放っておくことはしないが、砂に埋めた死体はみな自然にミイラになり、数百年を経た現代では遺体を包んだ繊維が解け、骨がばらばらになって毛髪などと共に地表に現れている。ミイラは人間だけではなく、自然に死んだ犬だってミイラになっている。人骨もここまで風化して浄化されると気持ちが悪いなどと言う感情は全く感じない。石ころと一緒になったただの地表の自然の物体に過ぎない。 【写真説明:右上:リマから南部のルート図、赤い太線がパンアメリカン・ハイウエー。 右下:パチャカマック遺跡のアドベの城壁。右の太平洋岸近くに見える細い筋はパンアメリカン・ハイウエー。 左上:砂漠を走るハイウエー。 左下:地上に人骨が散乱する遺跡の砂地。人物はワッケーロ(墓荒らし)。】 |
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