Sugar & Salt Corner
No.21-2  2005年1月25日
佐藤 敏雄

Titan Calling (2)

カッシーニ・ホイヘンス 探査機は、 木星:カッシーニ撮影 ケープカナベラル から アトラス4/セントール・ロケット により1997年10月15日 に打上げられました。 金星と地球の近傍で 「スィング・バイ」 を行った後、2000年12月には木星に接近して更なる 「スィング・バイ」 を行って速度を上げ、土星への最終コースをとりました。右の写真はその時 1000万キロの距離から撮影された木星の映像です。

この時まではすべてのシステムは完璧に作動していると思われ、 まさかとんでもない障害が潜んでいるなど誰も思い及ばなかったのです。

打上げに備え、あらゆる機器は個別にも総合的にも念入りに試験されていました。打上げ直前に提案された、 「ホイヘンスがタイタンに向け降下する時の通信シミュレーション」 を行いたいという技術者の提案は、 そんなものは必要ないと受け入れられませんでした。

万が一その試験が失敗すれば、原因追求のため最悪の場合、衛星の再組み立てが必要となり、その後の再試験 の手間並びにその経費が膨大になることを恐れたからです。事実、軌道上で全ての装置は旨く作動しており、 また幾つかの緊急時の措置も用意されていましたから、そのような実験は必要ないとESAは考えていたのです。

土星を回るカッシーニ
土星を回るカッシーニ

ドイツのダルムシュタットに ESA の宇宙運用センター ESOC (European Space Operation Center) があります。 ホイヘンスの運用責任者は、打上げ前にホイヘンス降下時の完全なシミュレーション試験が行われていなかった ことが気懸かりになってきました。しかし、土星到達までには退屈な何年もの時間があることでもあり、 急ぐことは無いと考えておりました。

1998年1月、彼はスエーデン人技師 Smeds に対し、気になっていた シミュレーションを実行するプログラムを作るよう命じました。
この場合、飛行中のホイヘンスの実機を使う事は不可能でした。何故ならば、切り離し前のカッシーニと ホイヘンスは部分的にはケーブルでがっちりと接続されており、タイタンに向け降下中の無線リンクを再現する ことはできないからです。

Smeds はまず、ESOC にあるホイヘンスのエンジニアリング・モデル(ねじ1本、トランジスタ1個に至るまで 実物と全く同じに作られている)を使ってカッシーニが飛行中にホイヘンスから受信するであろう信号を 合成しました。これを NASA のカリフォルニア州 Goldstone のアンテナから飛行中のカッシーニに向けて 送信して打ち返してもらい、正しく受信されるか否かを調べることにしたのです。

土星とカッシーニ
土星とカッシーニ

その結果は悲惨なものでした。信号が正しく復号されないのです。信号の強度を上げると逆にエラーが 多くなる事態まで発見されました。推理の結果、ドップラー・シフト(通信相手が高速で移動している場合に 周波数がずれる現象)が関係していると分かりましたが検証する時間がありません。他の多くのテストチームが 順番を待っていたからです。当然、軌道上の通信機器を修理するわけにはいきません。
ようやく事の重大性に気がついた NASA と ESA は緊急会議を召集しました。そこで宇宙工学の専門家達が 考え出したのは、カッシーニの軌道を変更し、両衛星の相対速度を遅くすることでした。

本来カッシーニは、タイタンに接近する遥か以前にホイヘンスを放出し、やがて04年11月にタイタンの極く近くの 低空を時速 21,000km という高速で 「スイング・バイ」 し、丁度その時にホイヘンスが時速20kmでタイタンに 着陸するのを間近で観測するように計画されていました。このカッシーニの軌道は、タイタン近傍を44回、 タイタン以外の小さな月の近傍を8回、遠方の月に100回以上接近して観測するというように、緻密に組み立てられて いたのです。そのような計画の中で、軌道変更によりカッシーニをタイタンの遥か遠方(遠地点)を低速で通過させ、 38kHz と想定されていたドップラー・シフトを最小限に軽減させようという試みでありました。

幸いそれまでの正確な軌道制御のお陰で十分な燃料があったのでこれを実行することができ、信号が正常に受信 できることを事前に確認することができました。その結果があの興味深い写真の数々です。しかもその後、 最初に計画した軌道に戻すこともできると IEEE 誌10月号は伝えています。

土星の月
大きな月 Dione

さて、技術者の端くれとして、何故、最初から分かっているドップラー・シフトへの対応ができていなかった のかという疑問が残ります。同誌によれば、メーカーの秘密主義と情報交換の欠如によるものだったようです。 イタリアの通信機器メーカーは地球近傍での衛星間通信についての経験は豊富でした。確かにドップラーによる 周波数ずれには十分な対策をしていたようですが、スイング・バイのような高速移動時に起こる BPSK 信号の ビット長のずれによる同期外れには気がついていなかったとの事です。NASA も ESA もこれを見過ごし、 衛星が飛行を開始してから、急遽、確認実験を行った結果、3億ドルの経費をかけた 「Once-In A-Lifetime (=生涯に一度きりの)」 のミッションがあわや大失敗という事態に追い込まれたのでした。

幸い、燃料が十分残っていたこともあり、フライトの専門家達の努力で軌道修正により視線速度を引き下げる ことができ、あの素晴らしい写真が送られてきたのでした。どこかの国でもありそうな失敗ですが、 それを克服した経験の豊かさとノウハウ、更には大組織の官僚主義と戦って実験実施に導いた技術屋の執念に 大きな敬意を表するものであります。

因みにこの問題の在り処に着目し、この貴重なミッションを救った Smeds さんは、ESA から表彰を受け、 盾と若干の賞金を手にしましたが、研究に戻り、送られてくる写真を見てみたいと言っていたそうです。

   (以上、IEEE/Spectrum 誌04年10月号その他をまとめてみました。    写真提供は NASA・JPL )
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