2008ノーベル賞授賞式

平山 正己 会員
2009年1月

昨年は後半から世界中が金融恐慌に覆われ暗いニュースばかりが目立ちましたが、日本生まれの研究者が4人もノーベル賞を受賞し、私たちの気持ちを明るくするとともに未来に希望を持たせてくれました。

合同記者会見での3先生

☆ はりつき・ぶら下がり
 物理学賞を南部洋一郎さん (米、シカゴ大名誉教授、87歳、米国籍)、小林誠さん (高エネルギー加速器研究機構名誉教授、64歳)、益川敏英さん (京都産業大学教授、68歳)、そして化学賞を下村脩さん (元米ウッズホール海洋生物学研究所上席研究員、80歳) が受賞され、昨年12月にストックホルムで授賞式が行われました。
この授賞式には日本のメディアが殺到し、現地のテレビでもその様子が紹介されたほどですが、小生も友人の新聞取材の応援で参加致しました。12月4日に成田を発ち、現地では、屋外の寒い中でのいわゆる "はりつき" や "ぶら下がり" で受賞者への取材に努めたほか、ロイヤルアカデミーの事務総長や受賞者選考委員会の委員長などとの、単独インタビューのアレンジやインタビューの翻訳などで日夜奮闘しました。
また、友人は非常に幸運にも授賞式と晩餐会に出席できる日本人報道関係者の3人の内の一人に当選したため、正装の燕尾服の現地手配、試着や調整そして着付けなども手取り足取りお手伝いしました。

☆ 講義と授賞式
 12月8日にはストックホルム大学の中央大ホールで受賞者の講義が行われましたが、益川さんは冒頭に "I can not speak English." と断り、以後、異例の日本語で行われました。
スピーチの内容は英語でスクリーンに映し出されていました。また、小学校入学前に体験した第二次世界大戦にも触れて平和を訴えられ、聴衆の多くが感動しました。下村さんは冒頭に疎開先の長崎が原爆で被災した写真をスクリーンに映し出し、命の尊さと平和の大切さを強調されました。小林さんの講義も実直なお人柄がでた素晴らしいものでした。
講義後に聴衆の外国人にインタビューをしたところ、みな一様に感銘を受けた旨のコメントがありました。
 そして、待ちに待った12月10日、コンサートホールで授賞式がおこなわれ、家族の健康が原因で来ることが出来なかった南部さんを除く日本人3人の研究者にノーベル賞が授与されました。その様子は授賞式に続くストックホルム市庁舎での晩餐会とともにテレビとインターネットで同時放映されました。
日本のメディアはこの後、受賞者の成田帰国までフォローしたようですが、小生の今回の仕事は授賞式とそれに続く晩餐会でほぼ終了しました。

☆ 受賞者の奥様とお嬢様に音響工学の講義
 ストックホルム大学での受賞者による講義の際、午前の物理学賞の部が終わると聴衆は退席し講堂はノーベル財団関係者や受賞者の関係者と報道関係者のみになりました。 お腹は空いたのですが、午後の化学賞の部が始まるまでの1時間ほどの空き時間も取材に飛び出した記者とカメラマンの席を確保しておくため、席を見張りながらがんばっておりました。
たまたま、近くにこられたご婦人とその娘さんと顔があったのでご挨拶をし、日本の報道関係者の一人であることを申し上げました。当講堂の構造、特に天井や壁の多くの突起について質問を受けましたので、浅学ですが音響工学上から説明をするとともに、この講堂の優れた点についてお喋りをしてしまいました。 ご婦人が自己紹介をしてくれ、「ほら、夫のマーチンが演壇で次の自分の講義に向けて少しナーバスになりながら準備をしているでしょ。」とのこと。それを聞いて驚くとともにお祝いを申し上げましたが、アメリカの受賞者のMartin Chalfieさん (化学賞) の奥様とお嬢様でした。

☆ ストックホルムで見つけた鉱石ラジオ
   忙しく、観光する暇などない仕事でしたが、ほんの少しの空いた時間で旧市街のガムラスタンに行く機会がありました。まるで中世の町にタイムスリップしたかのような、町並みと狭い石畳の道を挟んでみやげ物屋や小さな飲食店やら色んな店がありましたが、ふと、通り過ぎようとした骨董屋のガラス越しに古めかしい鉱石ラジオがおいてあるのが目に入り胸が騒ぎました。
昔の長方形の弁当箱ほどの大きさの箱に大きなダイヤルと鉱石 (ゲルマニュウムではない、れっきとした、鉱石) 検波器がついており、これも半世紀以上前のマグネチックレシーバ(ヘッドセット)がつながっていました。店の親父さんに値段を聞いたところ「めったに手に入らないから負けられない。」とのこと、日本円で約1万円くらいでした。 結果として、買いませんでしたが未だに心惹かれます、買うべきだったんでしょうネ。

筆者と、受賞者の滞在するホテル。日の丸も翻る。

☆ コペンハーゲンの街でまたラジオ
 12月12日にストックホルムを発ち、コペンハーゲンの北の港町で鋭気を養ってきました。関係者とコペンハーゲン空港で別れ、一人でコペンハーゲンの北方、鉄道で約一時間のヘルシンゴーの安宿に逗留しました。
ここでも骨董屋さんに遭遇し、ここでは日本円で約5000円ほどで北欧デザインの天井から吊り下げる電灯を買って大事に持ち帰りました。 (日本では安くても3万円します。) その店には、年代ものの真空管ラジオが大小3台置いてありました。ヨーロッパ製の名も知らない真空管 (ST管) が差してありました。これも欲しかったのですが電灯と一緒では持てないので今回はあきらめ、次回は是非これを持ち帰りたいと思っております。

☆ おわりに
 面白いことがなく相すみません。平山正己、元日を以って64歳となりました。

平成21年1月7日記

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