トップページ アーカイヴス 目次 第4章 浜名湖の西

第4章 浜名湖の西 -- 二度あることは三度ある -- <掛川→豊橋>

(浜名湖めぐりは『天浜』線)

『天浜』の愛称で呼ばれる第3セクター鉄道。過去二度ほど、一部区間を乗ったことがあるが、鉄道マニアたる私、一度は全線に乗ってみたいと念じていた鉄道である。途中、数か所に風変わりな駅があって、そこでの途中下車を楽しみにしていたが、すでに予定の日程をオーバーし、時間的余裕がなくなってしまった。ひたすら乗り通すしかなさそうである。おまけに前夜の行状が祟って二日酔い気味である。寝ぼけまなこで、時刻表も調べずに漫然と駅にやって来るとは、鉄道愛好家にあるまじき愚鈍な所行である。
次の便は08:55 発。この列車はこの線のほぼ中間地点の西鹿島行きであった。終着地新所原へは乗り継ぎを要する。もっとも、この線を全線乗り通す客などいるわけがない。新所原ならほぼ15分間隔で運行されているJRに乗れば1時間足らずで行ける。それに対してこちらは所要時間2時間以上、運行間隔は1時間に1本あるかないか、おまけに料金も高い。趣味で鉄道に乗るレール・マニヤも近時ようやく市民権を得たかに見えるが、少数派−i.e.変人−であることに変わりはない。よって、買う切符も途中の西鹿島までにして"常人"を装い、ジクジたる思いでワンマン・ジーゼルカーに乗り込んだ。
2両編成の車内は、地元のおばちゃん達と覚しき団体の行楽客で混んでいた。今日はたまたま日曜である。この3セク、地域に密着した地道な営みの一方で、団体・行楽客の掘り起こしにも励んでいるようだ。私としては、平日の素顔の天浜線を見聞したかったのだが、止むを得ない。
車両は、他の多くの3セク鉄道と同様、ワンマンバス類似の構造で、客席はクロスシート(4人掛け「汽車」形ボックス席)である。ところが、クロスシートなのに吊り皮がある。これはちょっと珍しい。
掛川を発車するとすぐに市街地を抜け、田園のなかを行く。東海地方の明るくのどかな平野が続くが、さすが東海メガロポリス地帯であって、田畑の中、随所に大きな工場が存在する。そして、それらはいずれもサッカー場のような広い駐車場を備えているのが目につく。いまや工場への通勤もすべてマイカーの時代なのだ。路線バスや、3セク鉄道が苦境に立つ所以である。
ところで、序章にて言及したが、この鉄道の前身は東海道本線の戦時バックアップ路線である。ちっぽけな車両がコトコト走るしがないローカル路線に、元・大幹線の名残りがある。単線鉄道で列車のすれ違いのため駅に設けられた退避線が、異様なほどに長い。当時の長大な貨物列車へ対応するためである。延々数百米もの退避線からは東海道本線の貫禄が感じられた。
やや大きい駅に停車した。遠州森駅である。静岡県森町。国鉄時代のとおとうみ森駅。国鉄では異地方に同一地名があるとき区別のため旧国名を冠するのが慣わしである。よって、この線にはいまも遠江○○なる駅が多い。第3セクターとなっても駅名が変わることはないが、ここだけは「遠州森」と改名されている。「とおとうみ森」ではどうということはないが「遠州森・・・」と来れば「・・の石松」と連想される。なにがしかの関心を誘う筈だ。いみじくもささやかな経営努力である。ただし、ここには石松に係る観光的な見どころはあまりない様であった。
09:44 西鹿島着。天竜川が伊那の谷から東海の平野に抜け出す二俣はこのひとつ手前の駅。以前ここを通りかかったとき、谷口集落の清楚なたたずまいが印象的だった。その二俣で下車して散策してみたかったのだが、そんな時間はない。
ここで「新所原」行きに乗り継ぎ、09:53 発。
10:05 宮口駅。駅長室が食堂、という"おもしろ駅"のひとつ、ここで食事をしてみたかったのだが、今は食事の頃ではなく、時間的にも余裕がない。
10時半頃 浜名湖が見え始める。ここから先、車窓から奥浜名湖の明媚な風光を楽しむうちに11:06 終着駅、新所原着。
新所原駅。3セク「天浜鉄道」の西の終着駅である。念願の3セク鉄道乗り通しを達成したはずなのに、なぜか満足感が湧いてこない。この先の行程が気になるからである。
国鉄時代、天浜の前身「二俣線」の列車は全て、ここから東海道線に乗り入れて2駅先の豊橋を終着としていた。豊橋まで、距離にすればわずか11キロである。豊橋に到達すれば、その先は名鉄/近鉄の太く、速く、明確な流れが待っており、この実験旅行の実質的な勝敗は決する。だが、この僅か11キロが『最後の難関』らしいのである。
つづく


前のページに戻る