トップページ アーカイヴス 目次 二度あることは三度ある

(二度あることは三度ある)

豊橋へは、あと11キロ。だが、この11キロが最後の難関であった。
そもそも、豊橋と浜松とは隣り合い、その間は約35キロである。愛知/静岡両県の、それぞれの県庁所在地に次ぐナンバー・ツーの大都市二つ、異県に跨がるとはいえ、その間がわずか30余キロとあれば、たとえば東京と川崎の様に"連続した市街地"が形成されていると思いがちである。
ところが然らず。両都市のほぼ中間に浜名湖がある。それは広範な水域を内蔵する牧歌的大リゾートサイトであって、都市化の波を阻止している。東側は浜松市に密着しているが、西には低いながらも山地が分水嶺を成して南北に連なり、これが遠江/三河(静岡/愛知)の国境となっている。
この分水嶺、標高こそ 400米程度と低いが、意外と険しい。ここを横断する国道-362は、江戸時代「姫街道」と呼ばれ、東海道のバイパスとして女性が好んで利用したという。が、その理由は、東海道・新居の関所における厳しい『女人改め』(婦人が江戸から出ていくことを厳しく規制した幕府の政策による)を嫌ったからであって、"道"自体は女性にとって過酷な難路であった。今日でも国道-362は屈曲甚だしく、バスの路線は途中の本坂峠で途切れている。すなわち浜松と豊橋との間は、新幹線や東名道によって極めて短時間に往来が可能であるにもかかわらず、都市としての生活的結びつきは案外に希薄なのである。
このような予備知識ゆえに、不安が持たれていた浜松〜豊橋間であるが、天浜鉄道のおかげで豊橋まで11キロと迫れるので、何とかなるだろう、という思いがあった。新所原は海岸に近く、彼の分水嶺も消滅寸前にまで標高を落としている。それに、ひょっとしたら豊橋の市街地がここまで及んでいるかもしれず、さすれば豊橋市内のバス路線が伸びてきている可能性もある。
だが、その期待は見事に外れた。静岡県湖西市に属する県境の町、新所原は予想より遥かに鄙であった。駅前は道だけがだだっぴろく、日曜日の故もあろうが、町は閑散として眠たげである。駅から2分も歩けば、もう商店の類は途絶え、人家もまばらである。路傍にバス停を見つけたが、そのバスは地域の通学用ローカル路線で、行き先も、時刻も(日に2本しかない)我々には無縁であった。

私たち二人は豊橋方面に通ずる県道を西に向かってとぼとぼと歩き始めた。昨日から数えて三度目、二度あることは三度ある、の諺どおりになってしまったのだ。
昨日の朝、最初の徒歩行は快適なハイキングであった。午後の二度目は疲労と倦怠のなかでの強行軍であった。そして今日の三度目は ・・・・ 、どうもだんだん悪くなってゆくようである。
まず、道自体は、昨日の午後も退屈な道だったが、それでも周囲一帯は緑があった。今日の、この道は車が往来するだけの陳腐な県道、都会とも田舎ともつかぬ中途半端な環境の中、道の両側はありふれた家屋が並ぶでなければ無粋なコンクリートジャングル。坂がないのだけは救いである。
それだけではない。前2回の徒歩行は、行き先もルートもハッキリしていて迷う心配は少しも無かった。今回は最終目的地が豊橋駅というだけで、そこまでの道筋が全く不明である。
距離は、豊橋駅までは11キロ、これは昨日に匹敵する長距離である。もっとも豊橋の市域に入ればバスがあるだろう。まさか全部を歩くことにはなるまい、半分の5キロぐらいで済むだろう、と思うのは願望がもたらす幻想に過ぎない。なにしろバス路線に関する情報は全く不明である。大まかな道路地図は持っているが、その種の地図は市街地では役に立たない。地理不案内に焦りが絡んで、埃と騒音にまみれた市街を彷徨する羽目になりかねない。
もう正午が近い。今日は3日目である。予定は2〜3日。紐育君は仕事の関係で今日中に帰宅している要がある。午後になっても豊橋に到達できなければ、この旅行計画は破綻する。無残な敗北である。


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