ラスベガスへ行った話 |
第 1 話 樫村 慶一 |
≪41時間の長い一日≫ 日本からラスベガス(Las Vegas:スペイ語の地名:平原、スペルに忠実ならラスとベガスの間に点かスペースが入るのだが、入れないで使っているのでそれに従った))へ行くには米国の西海岸のロス・アンジェルスかサン・フランシスコで乗り継ぐか、日本から直行便で行くかの方法がある。私は、サン・フランシスコで乗り換えるルートを取った。冬の強い偏西風に乗ったジャンボは、マッハ1以上の対地速度を出す。テレビに映るフライト情報によると最高1027km出していた。8500kmをたった8時間20分で飛ぶ。日本を1月19日夕方5時25分にに出発した機は夜中の、20日午前1時45分に着く、17時間の時差の遅いサンフラン時間の1月19日午前8時45分である。これだと、サンフランの乗り換え時間が3時間程度で、ラスベガスへはまっ昼間に着くので、その日は十二分に使うことができる。何せ、この日は1日が41時間もある超デラックスな一日なのだから。 ![]() 砂漠の中の不夜城と言われているラスベガスであるが、真昼間の到着では、ただの賑やかな都会に過ぎない。空からみえる大きな建物は全部ホテルである。ネバダ州がカジノを認めたのは、フーバーダム建設にやって来た労働者に対してだったそうで、ダムが完成した1930年代後半でも、たいした発展は見られず、太平洋戦争が終わったころでも、まだ人口は2万人たらずの田舎町だったらしい。空港のロビーに出るとさすがギャンブルの街で、至るところにストッロマシンがおいてあり、到着するや、すぐにでも遊べるようになっている。 ≪全てはカジノへ通じる≫ ![]() そういった商魂の逞しさの極意をガイドに教わった。なんと、それは、「客にとって部屋の居心地をよくしない事である」 と言う。日本では、想像もできない哲学である。その中で”日本人だったら”へーー”と驚くような事のいくつかを、体験と又聞きで紹介する。 ★、部屋にはミニバーをおかない(私の泊まったベラージオと他2,3のホテルには例外的にあるという)。ビールなどは1階のカジノのフロアーで飲んでもらう。同様の理由で、コーヒーメーカも部屋には置かない。 ★最上階にはレストランは配置しない。夜景を眺めながらゆっくり食事をとるのはご勘弁をと言うわけである。カジノへの交通量を増やすために、レストランを1階に集中させて、最上階にレストランを配置しないのは世界広しと言えどもラスベガスだけらしい。 ★室内のテレビに余り楽しい番組は流さない。そういえばチャンネル数も3,4chしかなく、世界中殆どどこにもあるCNNの国際ニュースもなかった。 ★カップルが抱き合って、うっとりといつまでも外を眺めることがないようにバルコニーは作らない。 ★ルームサービスの料金を高め設定したり、朝食用の詳しいメニューを置かない。 ![]() そのほかにも、朝刊の無料配布をしないとか、1階のフロントロビーにソファーを十分に置かないとか、カジノで時間を気にせずに遊んでもらうために見え易い所に時計を置かないとか、すべては、カジノへカジノへと人々が流れるようなインフラを作っているのである。 確かにそう言われてみると、そうかもしれないが、そうゆうこととは別に、風呂や洗面設備が使い難いのには驚いた。洗面所そのものはだだ広いのだが、バスタブの周囲にカーテンがないし、シャワーの蛇口がない。普通は、まずバスタブにたっぷりお湯を入れて、ゆっくり浸かり、体を洗い、シャワーで体を流しながら、タブのお湯も流して出れば、すぐ次の人が入れる。しかし、カーテンもシャワーもないのだから、中で体が洗えない、石鹸だけ付けて隅に区切られたシャワーで流そうとしたら、なんと、これが水だけなのである。日本と同じような気温の冬のラスベガスで、水だけのシャワーとは言葉もでない。蛇口に何か仕掛けがあるのじゃないかと、一生懸命いじくりまわしたが、無情にも水の勢いが強弱に変わるだけであった。 つづく 【写真説明:上、空中から見たホテルの立ち並ぶラスベガス市街中心部。中、ラスベガス空港のロビーにまでびっしり並ぶスロットマシン 下、空港はホテルの並ぶ市街地に隣接している。】 |
第2話へつづく
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