四季雑感 (3)
樫村 慶一
 2008年、平成20年、昭和83年も間もなく往ってしまう。そんな師走の16日の朝日新聞の朝刊に、KDDIと朝日新聞とテレビ朝日の3社が連携して、携帯電話向け新情報サービスを始めると出ていた。私の僻みかもしれないが、朝日新聞は携帯電話に関するニュースの取り扱いにおいて、KDDIに対しては他の事業者に比べ比較的辛いと感じている。しかし、この記事は自社が絡んでいるせいか細やかに解説していた。世の中は100年に1度の不景気と言われているが、巷(ちまた)でも駅でも電車やバスの中でも、液晶を睨らんで親指の運動をしている人の数は減ったようには思えない。さりとてすでに携帯電話の普及は飽和状態であり、これ以上の画期的な伸びも期待できないだろう。そうなると畢竟、競争はサービスの内容如何になってくる。昔、現役の時代、固定通信の電報や電話それにテレックスなどが華やかな頃は、景気がよければ発信が、悪ければ着信が多くなる、いずれにせよ(国際)通信事業というのは景気に左右されない安定した事業だと言われていた。でもそれは独占時代のことで、競争激化の今はそうはいかない。鳥渡の間も息が抜けないだろう。現役諸氏のご苦労が察しできる。
  それにしても、今年は雑誌や新聞に携帯電話会社の情報が随分と取り上げられたように思う。次世代無線通信の免許割り当て決定に始まり、KDDIのCTC買収、新機種の発売ラッシュ、ネットの覇権争い、毎月の新規契約者獲得競争、NTTの次世代通信網(NGN)のサービス開始、MVNOの出現、無料通話範囲の拡大、iPhoneの日本上陸、端末の大型化、防水化などなどの記事が踊り、一方で振り込め詐欺事件に悪用された携帯電話の悲劇も今年は随分報道された。そして、年末には、遂に固定電話が5千万台を割ったことが発表され、来年2月からは次世代無線通信サービスが開始されるなどを考えると、今年は携帯電話世紀の曲がり角の年だったような気がしている。
  一方、ライバルのソフトバンクも、シェアー獲得のためにPR用端末を無料で大量にばら撒いたとか、通信料の不良債権がauやドコモ(2〜3%)の倍以上(7%)あるとか、多額の有利子負債があり1日に3億円も利子を払っているとか、デリバティーブで何百億円損をしたとか、iPhoneが全部売れたら(100万台)ネットワークがパンクするので本当は冷や冷やだとか、ネガティーブな記事が雑誌・新聞などを賑わした。なにかと注目される重要な時期に、雑誌「FACTA12月号」が ”KDDI内部で旧KDD派と旧DDI派が次期社長の座を巡って熾烈な争いを行っている” という、ショッキングな記事を発表した。要約すると次のようなことである。
  ≪2009年2月サービス開始する予定の次世代無線通信会社はKDDIが30%を出資した会社で、名称を”UQ”と言う。この社長になったのはKDD出身の田中孝司氏で、(筆者注:田中氏は京大電気工学部修士課程卒、昭和56年入社)、KDDIの次期社長候補の一人と言われている。次世代無線は2つの免許を巡って3携帯電話事業者とPHSのウイルコムが争ったが、KDDIが一つを取得した大きな理由は低コストで広範囲なネットワークを整備する計画が評価されたと言われている。その裏付けになるのが2008年3月にサービスを終了したツーカーの基地局の転用である。ところが、この転用に待ったをかけたのがKDDIの一方の旗頭、高橋誠氏である。高橋氏はDDIの生え抜きでau事業の総責任者であり、auの延長線上にある3.9世代と言われる毎秒100メガ以上の高速通信を目指して2010年頃から商用化が見込まれている新サービスに使うべきだと主張している。醜い身内同士の争いである。KDDIは、昨年末から今年春にかけて、auのシェアー3000万台突破を目標にしてプリペイド端末を大量にばら撒いた。プリペイド期間が終了すれば正規の契約をしてもらえると想定したのだ。しかし予想に反して返品が相次ぎ、加入者純増数で新参のイーモバイルにも抜かれ、最下位に落ちると言う屈辱を味わった。こんなこともあって、au派が社内で旗色が悪くなってきたのに反し、固定通信派のKDDグループが発言力を高めてきたとの見方がある。田中氏は将来をかけて捨て身の覚悟だといわれており、UQの成功にかけている。小野寺社長の行事役としての手腕が見ものである。≫
  しかし、この免許獲得競争でドコモやソフトバンクに勝ったのは、低コストで早期に全国カバーが可能だと総務省に認められたためであり、その基になるツーカー設備が使えなくなれば国に対する裏切りになるのじゃないかと心配である。 KDDとDDIが合併した当時は、大企業同士の合併として注目され、週刊東洋経済が合併成功の代表的事例と賞賛したりもした。それが8年も経つて、新婚の甘さが薄れた夫婦がそれぞれの自我を表してきたようなものかもしれない。監督官庁やライバル企業に横槍を入れられたのではなく、社内の幹部同士の対立は頂けない。それに、先のauのプリペイド問題もあり、我々OBとしては、やっぱり旧KDD出身者の肩を持ちたくなるが、実際には何にも出来ない。au もUQもどちらも頑張れと言うほかない。
  話しは変わるが、11月の末に、「TAS建設に苦労した仲間の会」と言うのをやった。今から45年前、KDDが栄耀栄華を誇っていた時代に国際電報の処理にコンピューターを使うことが計画され、そのための試作試験班が設置された。ディスプレイの画面に長時間向かい合っていると、癌になるとか子供が出来なくなるとか、今では信じられないようなことが真剣に論じられたものである。その後、臨時電報中継機械化本部となり、正式な電報中継機会化部へと発達し、最後は東報局や本社関係部門に吸収され発展的に解消した。その臨時本部時代には徹夜勤務は当たり前の日々が続いたこともあった。それから35年目の会を5年前に行い、今回は40年目の会である。k-unetお馴染みのワシントンホテル地下の天津飯店だ。旧大手町ビル6階の全フロアーを使う、KDD初の大規模コンピュータシステム建設に邁進していた若者達も、寄る年波には勝てず禿げや白髪と皺面の好々爺になっていた。その席で ”国際電報は今いずこ” と言う話しを聞いた。国際電報は慶弔や儀礼電報だけになっても総務省が廃止を許可しないので、今は米国の業者に委託しているとか、その業者は、「デンポッポ」というサービス名のメール・メッセージにして世界に配信しているということである。我々年代は電報誕生時のモールス通信からコンピュータ処理までを経験した。別に偉いとも思わないが、それらを経験し覚えているということもまた大したことではないだろうか。
  もう直ぐ新年、またまた所得税確定申告の時期がくる。何故か分からないが毎年百円、千円単位で所得額や控除額が変わる。さて、来年の税金の還付金はいくらくらいになるだろうか。くだらない交付金よりは多いことは確かなんだけど。ささやかな楽しみである。   以上   
   
(2008.12.20記。写真上:白樺湖 (2008.11.23)/下:神宮外苑の銀杏 (2008.12.6)