Sugar & Salt Corner
No.34   2008年3月27日
佐藤 敏雄

静止衛星の発案者 アーサー・C・クラーク博士永眠

Clerk

静止衛星通信システムを最初に提案したアーサー・C・クラーク博士が3月19日、90歳で亡くなられました。IEEE Spectrum Online の3月20日号は、本年1月にIEEEの特派員がスリランカの病院で行った同氏に対するインタビュー記事を載せています。既に病床にあったクラークさんは雄弁に話をしましたが、時として呼吸を整える必要があったとのことです。氏は30年ほど前から、若い時に受けた小児麻痺予防注射の後遺症である筋肉痛と記憶の減退に悩まされており、長い間、車椅子に頼らざるを得なかったようです。
(写真はコロンボの病院にて1月、Saswato R. Dasさん撮影)

赤道上36,000kmの軌道上に衛星を打ち上げれば、地球を回る公転周期が24時間となり、地球上からはあたかも空の一点に静止しているように見えます。これが静止衛星と呼ばれるもので、このような衛星を3基、等間隔に配置すれば、極地域以外の全世界をカバーする通信ネットワークを構成することができます。KDDは、1969年からインテルサットの静止衛星を用いて国際電話を開始すると共に、国際テレビ伝送で映像サービスを提供してきましたから、我々KDDマンにとって静止衛星は極めて身近な存在でありました。

静止軌道

ご存知だとは思いますが、今では常識となったこの静止衛星システムはクラークさんにより初めて発想されたものです。すなわち、人工衛星が実現する遥か以前の1945年(終戦の年)、SF小説作家として知られていたクラークさんがExtra-Terrestrial Relays(地球圏外の無線中継所)という論文をWireless Worldという雑誌に発表したのです。研究所時代に私は図書館でこの古い雑誌を探して読み、氏の先見性に驚きと畏敬の念を抱いたものです。上の図はその論文に掲載されたものですが、見事に静止衛星軌道を説明しています。因みに無私無欲の同氏は静止衛星の特許は出願していません。上記のインタビューでも、なぜ特許を申請しなかったのかという質問に対し「いつもそう聞かれるのだが、特許とは常に訴訟を起こされるためのものなんだよ」と笑っておられたそうです。もし特許を取っていたら、超大金持ちになっておられたでしょうにね。
Sugar & Salt Corner 25号で紹介したスペースエレベーターは、赤道上10万キロにも達するエレベーターで、全システムの重心が静止軌道上に来るように設計されますが、これもクラークさんが1979年にThe Fountains of Paradiseという本の中で書いておられます。赤道に近いスリランカはスペースエレベーターの基地として絶好だと考えておられたようです。氏はまた、地球外知的生命(ET=Extra-Terrestrial Intelligence)や、火星の地球化(Terraforming Planets)などにも興味を持ち続けておられました。

1968年、クラークさんの発案になる映画「2001年:宇宙の旅」(2001: A Space Odyssey)が公開され、同名の小説が出版されています。私は米国出張の折にこの本を買って読みふけったものですが、 Clerk2 土星(映画では木星)に向けて飛行する宇宙船の中で、人間のために尽くすべく設計されたHALという名の人工知能(コンピュータ)が人間に反抗し始めるということにたまらない恐怖を感じたものです。HALという名前は、IBMの先を行くものとしてアルファベットを1文字ずつ前にずらした(Iに対しH等)ものだと伝えられていますが、これには異論もあるようです。
HALにより乗組員が一人ずつ消されていくのですが、最後に残ったボーマン船長が木星に向けた軌道上で変身(進化)を遂げ、赤児に帰っていくかのような映像が不気味でありかつ神秘的だった記憶があります。小説を読んでもこの辺はどうにも理解できなかった印象があったのですが、極端な想像力を必要とするこのストーリーに付いていくためには、私の英語力が足らなかったことは申し上げるまでもありません。この本、誰かに貸したきり戻ってこず宇宙をさまよっているため、その辺の英語表現を確認できないのが残念です。この小説は次々と続きが書かれ、「2010年:宇宙の旅」、更には「2061年:宇宙の旅」が出版されましたが、20世紀も終わりに近く、もはやSFとは言えなくなったためか、終に「3001年:終局の旅」までジャンプして完結しています。

偉大な科学者であり小説家であったクラークさんのため合掌。

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